― 株式会社極東精機製作所の70年物語 ―
はじめに
東京都大田区にある町工場、株式会社極東精機製作所。
私たちは、創業から70年以上にわたり、精密金属加工の技術で数多くの製品を世に送り出してきました。
このブログでは、極東精機製作所の歴史を物語としてご紹介します。
第1章 戦後の焼け跡から、一本の旋盤で始まった夢
昭和のはじめ、戦後の復興期。
焼け跡がまだ残る大田区の一角で、ひとりの職人が旋盤に向かっていました。

「日本のものづくりを支える力になりたい。」
その想いを胸に、創業者である鈴木福男が小さな町工場を立ち上げました。
当時は材料も工具も不足していましたが、職人たちは知恵と工夫で機械を動かし、ひとつひとつの注文に応えました。
その積み重ねが、極東精機製作所の原点です。
第2章 法人化と成長 ― 「下請け」で終わらせない覚悟
昭和43年(1968年)、極東精機製作所は法人として新たなスタートを切ります。
高度経済成長に沸く日本で、製造業の需要は右肩上がり。
しかし、創業者たちはあえてこう考えました。
「ただの下請けでは終わらせない。自分たちの技術で価値をつくる会社にしよう。」

その想いのもと、旋盤加工だけでなくマシニング・複合加工へと事業を拡大。
“図面通りに削る”から“図面をより良くする提案”へ――。
ものづくりの本質を追求する企業文化が、ここで芽生えます。
第3章 技術革新と挑戦 ― 難削材への挑む町工場
1980年代、町工場の淘汰が進む中で極東精機製作所は決断します。
「他ができない加工をやる」 と。
ステンレス、チタン、インコネルなど、いわゆる“難削材”。
失敗と改良を繰り返しながら、職人たちは条件を見極め、工具を研ぎ、ノウハウを積み上げました。

やがて、「他社で断られた部品でも極東ならできる」と言われるようになります。
この時期に培われた“現場力”こそ、今も当社を支えるDNAです。
第4章 変革の時代 ― 若手とともに未来を描く
2000年代。
グローバル化と価格競争が進む中、極東精機は大きな転換期を迎えます。
「下請け体質から脱却しよう」
「若い力で会社を変えていこう」
そうした思いから、社内制度の見直し・デジタル設備の導入・若手登用を積極的に進めました。
現在では平均年齢28歳という、町工場としては非常に若いチーム体制を実現しています。

“ベテランの技”と“若手の発想”が共存する、これが現代の極東精機製作所です。
第5章 BARYON TOKYO ― 技術からデザインへ
そして2020年代。
長年の加工技術を新しい形で社会に発信するために、当社は自社ブランド 「BARYON TOKYO」 を立ち上げました。

金属という素材が持つ美しさ、そして職人の手仕事の温度を感じられるプロダクト。
それがBARYONの目指す世界観です。

削る技術から、創るデザインへ。
ものづくり企業がデザインブランドを持つ――
それは私たち極東精機製作所にとって、次の挑戦の始まりでした。
第6章 これからの極東精機製作所へ
今の工場には、ベテランと若手が共に立っています。
新しい技術を取り入れながらも、守り続けるのは“人の手の感覚”です。
創業から70年余。
一本の旋盤から始まった夢は、形を変えながらも、今も変わらず回り続けています。
極東精機製作所はこれからも、
飽くなき挑戦を続け、極東プロフダクトを世界へ。 未来へ挑み続けます。
終わりに
私たちが目指すのは、“町工場の新しいかたち”。
次の時代にものづくりの魅力を伝え、誇りを持って働ける環境を創ることです。
― 町工場に、無限の可能性を。
この想いを胸に、極東精機製作所はこれからも前進していきます。